2004年3月6日(土)新潟日報社説


巣立ちの季節 一人暮らしを始める人たちに
 三月は巣立ち、旅立ちの季節だ。進学や就職で親元を離れ、初めて一人暮らしに挑戦する
若者が多いことだろう。転勤で単身赴任を余儀なくされる中高年もいるだろう。
 家族と一緒にいる間は一人暮らしにあこがれていた人も、一人になってみると、不安に襲わ
れたり、心細くなったりする。
 物事がうまくいっているときはまだいい。慣れない環境の中、学校生活でつまずいたり、仕事
で失敗したりすると、意気消沈し、つぶれてしまいかねない。
 そんな一人暮らしを上手に乗り切るには、食事の作り方やスランプに陥ったときの対処法な
ど、細かな生活術を心得ていることが必要だ。
 大事なことだが、意外と誰も教えてくれない事柄である。
 親からは「勉強さえしていればよい」と言われてきた若者も多いのではないか。最近、新潟市
内でアパートを経営する人から話を聞く機会があった。
 医学生に貸した部屋が一番汚く、退去した後はほこりの山だとこぼしていた。
 入居する際も、手続きなどいっさいを親に任せて本人は何もしない。勉強が大変なのかもし
れないが、これでよいのかと話していた。
 男女を問わず、食事作りや掃除などの生活技能が身に付いていない若者が多いようだ。生
活を軽視するのは昨今の風潮だともいえる。
 全国どこへ行っても、コンビニやファミリーレストランがある時代だ。食事の確保だって何の
心配もいらないという声がある。
 だが、好きな物を、好きなだけ、好きなときに食べる、というような食生活は感心しない。外食
は経済的なゆとりもないと続かない。
 具体的な生活の知恵や心の持ち方など、一人暮らしを始める人が参考にできるお手本はな
いだろうか。親身にアドバイスしてくれるものが手元にあれば心強い。
 松浦幸子編著「私もひとりで暮らせる―心の病気をしたって大丈夫」(教育史料出版会)とい
う一冊の本が今月中旬、発行される。
 副題にあるように、これは心を病んだ人たちが地域で一人暮らしをし、社会復帰していこうと
するのを応援しようと編まれた本だ。
 でも、心を病む人だけの「生活支援ブック」にとどめておくのはもったいない。ここにつづられ
た物語と助言は、一人暮らしの人はもちろん、孤独な人たちみんなに不思議な安心感と元気
を与えてくれる。
 編著者の松浦さんは栃尾市出身の精神科ソーシャルワーカーだ。東京都調布市で「クッキン
グハウス」という心の病を負った人たちの居場所づくりの活動を主宰する。
 街の中に開いた三カ所のレストランやティールームを拠点に、食事作りを通して自立を支援
している。
 この本は、そこに集うメンバーたちが蓄積してきた一人暮らしを支える生活の知恵と工夫を、
松浦さんとスタッフが取材してまとめたものだ。
 弱者といわれる人たちが、体験から生み出したつつましい暮らし術である。一人でおいしく食
べられる料理の章もあるが、ハウツー本ではない。
 都会の片隅で民間アパートを借り、生活保護費や障害年金をやり繰りしながら、自分なりの
快適な暮らしをつくり出している人たちがいる。十年、二十年という長い入院生活の後、懸命に
生き直す姿が胸を打つ。
 人生は楽ではない。だからこそ、一人では弱い力を寄せ合い、助け合うことができれば頑張
っていける。
 それには、仲間がいて人とのつながりのある生活を心掛け、他人と競争するのではなく自分
のペースを守って楽しく暮らすことが大切だ。
 一人ひとりがこんな当たり前のことに気付けば、もっと温かく優しい社会になるだろう。
 
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