クッキングハウスからこんにちは No.150

目次(青字の記事を抜粋してあります)2013年6月4日発行


もくじ
巻頭言:うたったように…1、特集・総会,講演会,交流会,看板…2、動く・小千谷報告…4、路地裏散歩…5、スウさんのピースウォーク…6、六ヶ所村…7、ぜひ聴いて,昼サイコドラマ,スタッフ退職…8、メンタルヘルス講座,市民大学,賛助会お礼,紹介会…10、文化学習企画…11、動く,各地からありがとう,お知らせ…12

特集~総会~
 
〈いのちと心の居場所〉~窪島誠一郎さん記念講演~
  去年、クッキングハウスのバス旅行で、みんなで無言館と信濃デッサン館を見学しました。織座農園から届いた野菜弁当を、ゆっくりかみしめながら、塩田平の雄大な風景に見とれたり、戦没画学生の家族や恋人へのまっすぐな愛をひたすら描いた絵の前に立ち、あまりにも若いいのちを戦争で奪われたことに言葉を失い、涙を流しました。夭折画家に魅せられ収集した村山槐多や松本俊介の絵を展示する信濃デッサン館を1979年に開き、1997年には無言館を開設した窪島誠一郎さんに、直接お話を聞いてみたい願いが、今回の総会でようやく実現しました。 
1941年生まれの窪島さんは、親の病気と貧しさから、子どものいない靴職人の養子となり、名前も誠一郎に変わりました。いつの頃からか本当の親をひそかに探すようになり、とうとう昭和52年、36歳の時、実の父が作家の水上勉であることを知り、父子の対面が実現します。ちょうど水上勉が、第四回・川端康成賞を受賞した時でした。(著書・「父 水上勉」・白水社より)
 窪島さんの出自と苦労人の人生からにじみ出た、ロマンのあるお話は、高度経済成長期の日本の社会も背景にあり、おもしろいものでした。満員のお客さまもメンバー達も、集中して聴いてくれましたが、さて、レポートとしてまとめようとすると、とても難しいのです。
 金沢からやってきた水野スウさんは「金沢美大での講演と全く違うのでびっくりしたわ。きっとクッキングハウスでは心がほぐれてきて自分の弱さも出せる安心感があったのかしら」と、驚いたほどです。

―窪島さんのお話から―
墓をつくって一緒に入ろうと言ってくれた友人が亡くなりました。
夭折画家の絵を、自分で好きで集めて、銀行からお金を借りて、1979年に美術館を手弁当で作った時は、毎月のローン36万円余もありましたが自分で返せる範囲の金額で、苦にもならなかった。しかし、太平洋戦争で戦死した画学生の絵を預かり展示するために、画家の野見山暁治さんと共に全国の遺族の家を訪ね歩いて、無言館建設費用が寄付金として4,200万円集まったけれど、その頃から、手弁当の楽しみがなくなりました。遺族からお預かりした絵と、身銭を切って集めた絵とは、天と地との差です。当時、野見山さんが71歳、僕は51歳でした。
ゴキブリホイホイの箱を見本に、安普請で建てた信濃デッサン館は、不思議なことに頑丈でビクともしないのです。無言館は、そうはいきません。すべての絵を展示するには狭くなり、収蔵庫も必要。展示スペースを増やすために第二無言館も建てることになりました。
 現在、一般財団法人になったのですが、何が得をしたことなのかわかりません。評判は良いのに、開館当時、年間10万人だった来館者が年々減っていきました。2012年は3万人。7,000万円も収入が減りました。手弁当時代の、たった一人の個人の想いが、組織になると手かせ・足かせとなります。「NPOになると生きがいが無くなりますよ」、と会計士に言われたけど…本当だな。 何もかも、オキシフルで拭いたような、法人としての運営。オキシフルで拭くと、拭けば拭くほど、活動していく者のエネルギーが薄まるのではないだろうか。
『いのちと心の居場所』というテーマを今回頂いたのだけど、自分には思いつかない、松浦さんのワードです。『心の居場所』が、じぶんにはあるだろうか?。尋問されたら立ちすくんでしまうだろうと思います。いのちと心の居場所が見つからず生きてきた人生だったから。
1941年11月20日、東京の東中野で生まれ(実の母は9月20日に産まれたと教えてくれたけど)、20日後には太平洋戦争が始まりました。2歳半で生みの親の元を離れ、明大前で靴職人として生計を立てる窪島茂・ハツの戸籍上の養子になり、貧しさの中、手塩にかけて育てられました。中学校の恩師が、父が靴を直し磨いている明大前に日参して、「息子さんを高校にあげてくれ」と頼み、何とか高校に入学できました。父も母も病気を持ち、高校卒業まで働けるかどうかという状態でした。
 渋谷の東亜という生地屋さんで働いていた18歳の頃、古本屋で“槐多画集”(中村書店・1,500円)を見つけました。22歳5か月で死んだ画家がいる。自分の年齢と引き算したら、あと何年もないではないか。何か短いハシゴを渡って、別の世界に渡った気がしました。それまで綺麗で美しいものが絵だと教えられてきたのに、槐多の絵は全く違う。
 昭和38年、22歳の時、小さな家を自分で改装して、『塔』という居酒屋を開きました。東京オリンピックの年には弁当を売りまくりました。夜中に100円札を数える時、喜びにあふれ、凱旋歌が鳴り響き、ある種の興奮状態でした。何も信じなかったし、誰のことも信用しなかったな。商売で儲けながら、どこか空虚でした。信じられないから疑り深い。だから甘えてしまう。信じられるものを持ちたい。信じる人に出会いたい。そして夭折した画家達の絵を収集するようになりました。  
 村山槐多の絵・夭折した画家の絵は信じられる。その絵の前にいると安心できる。いつまでも絵のそばにいたいと思う。絵は語らないけど、じっと待っていてくれる。絵と出会うことは、自分と出会うこと。今の自分の立ち位置が分かることでした。
戦没画学生の絵を求める旅をしていて、今は亡き育ての親の窪島茂・ハツではないか、と思わせる遺族にも出会いました。
妻には、絵を集める資格あるの?と問い詰められるけど、この年になって思うことは、決着をつけなくていい。やれるところまでやって、次の人にバトンタッチできればいい、ということ。
駅を歩いていたら、アベマリアの曲が流れてきた。床のガムを剥がす仕事をしていた掃除のおばさんの手が止まった。そんな絵や音楽であったらいい。

 屈折した表現でありながら、「いのちと心の居場所」を求め続けて生きてきた窪島誠一郎さんの、生きることへの渇望が伝わってきました。クッキングスターの相談室に窪島さんの描かれた絵を飾っています。父・水上勉が若狭で漉(す)いた竹の和紙に描いた、白い雨に打たれた小さな赤い花の絵です。一人ひとりの人生のつらいことを語ってもいい場にあるこの絵が、“やっぱり生きてみようよ”と、そっと、ささやいてくれるようで、私の好きな絵です。                      (松浦幸子)

〈事務局より〉
正会員124名のうち、36名の出席、65名の方から議長への委任状を頂いての総会の成立。遠くからは長野県小谷村の高橋きよみさんご夫妻、千葉県の山﨑亨さんにもご参加頂きました。御協力本当にありがとうございました。昨年は自立支援事業により、大きく運営が変化した年。会計のやり方も変わりました。日々の活動や理念はそのまま大切にしながら、自立支援事業にもどう対応してきたか、参加した皆さんが関心をよせ、理解してくださったことが大変うれしい総会でした。
今年4月からは、自立支援法が障害者総合支援法に変わりました。その関係で今回の総会では、定款に変更があることも承認して頂きました。また理事も改選の年となり、全員が再任させて頂くこととなりました。総会を受け、次の手続きに向けて事務局も張り切って臨みたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。 (林 由佳里)

〈交 流 会〉
~自分の気持ちをていねいに伝えられる場~
5月末のレストランは、週末の総会・交流会に向け、気合の入る季節です。来て下さるお客様の顔を思い浮かべながら、料理の仕込みに励みました。野口慶子さんからは、宮城県石巻産の塩蔵昆布を頂き、パーティー料理のメインに使わせて頂きました。長くて立派な昆布を、昆布巻きに仕上げました。作った自分達でも「おいしそう!絶対おいしいよ~」と絶賛。みんなでわいわい仕込みながら、つながり合い関わり合って、クッキングハウスが成り立っているんだなあと、あたたかい気持ちにもなりました。
当日の交流会の様子を、メンバーの前沢真貴子さんがブログに掲載してくれました。   (有光梨紗)

「交流会が始まる頃、厨房ではスタッフやメンバーが動き続けていました。総会でスターに上げていた椅子も次々降ろされてレストランの中に並べられます。みんなが上から降りてきたら、乾杯!はじまりはじまり~。メンバーは奥に座ってそれぞれお皿に取り分けて食べていました。おいしかったなあ。
ひと段落ついたところで松浦さんがマイクを持ちます。そしてメンバーから、一芸も含めてなんでも、ということに。自己紹介や歌、いろいろご披露します。目の前には窪島さんが座っていて、私はちょっと緊張。でも、よく見たら目が優しく笑っていたのでホッ。私は初めて「無言館」という、私の作詞作曲したうたを歌いました。やっぱマイクを持つ手が震えてしまい、恥ずかしかったなあ。
窪島さんが「らららの彼女」と命名したメンバーのあい子さんは「歌詞を忘れたのでらららで歌います~、らららら~」と堂々と歌いだしたので一同爆笑。あとで窪島さんは「らららのあい子さん、絶品だね」とおっしゃっていたとのこと。やっぱすごいよ、あい子さん。クッキングハウスではお客さまにもひとこと、とマイクが渡されます。石川県や川崎からの顔なじみのみなさまもお話したり歌ってくださったり。初めてクッキングハウスに来てくださった方たちも何組もいらしてうれしい出会いとなりました。最後は全員で手をつなぎ「不思議なレストラン」を大合唱。何度歌ってもいいもんだよね。                  (前沢真貴子)

〈みんなでつくり上げたイベント看板〉
ティールームのメンバーを中心に始まったイベントの看板づくり。私は全体のデザインを担当したのですが、イベントの雰囲気に合わせた用紙の色、文字の形と色、飾りつけを考えながらの作業。何度も悩みましたが、周りのみんなが「ここの文字は波打っていた方がいいかも」とアイデアをだしてくれます。徐々に完成イメージが見えてきます。制作に入ってからも、みんな積極的に参加してくれて、作業はとても楽しい雰囲気になりました。
水野スウさんのピースウォークの時の看板はピンクと黄色の桜の花びらを立体的に貼って淡い色彩の看板に仕上げました。スウさんのあたたかい雰囲気に合っていれば成功です。
クッキングハウス総会の看板は2種類。色とりどりの野菜・果物の折り紙で全体を囲んだ楽しい総会用のものと、絵画の額のように上品に仕上げた記念講演用の2つです。講演用の看板は、ゲストの窪島誠一郎さんを大切にお迎えする看板づくりを目指しました。
みんなでつくり上げた看板が、ひとつひとつのイベントに少しでも花を添えることができたなら、とても嬉しいです。   (斉藤敏朗)




スウさんのピースウォーク (第9回)
 
 
お話のテーマ 「紅茶なきもち コミュニケーションを巡る物語 を書いた思い」 4月19日開催

 4月になると、スウさんが金沢から春風に乗ってやってきて、さわやかな平和の風を心に送ってくれるのです。スウさんが、クッキングハウスの場で感じた思いと、SSTやサイコドラマのコミュニケーションの学びを共にした思いを丁寧に織り込んでいった著書が「紅茶なきもち コミュニケーションを巡る物語」です。そばに座ってもらって、やさしく語りかけてもらっているような文章。わかりやすい言葉でありながら、一人の人間としてのかけがえのない存在を尊重し、相手を認めていくための哲学書でもあると思いました。クッキングスター満員のお客さまには、岐阜県から駆けつけてくれた石井さんや、遠方の方も多いのです。青森県の増富今日子さんからは、人参ジュースも届きました。
~スウさんのお話から~
娘が生まれて、子育ての仲間が欲しいと金沢のマンションで『紅茶の時間』を始めてから30年。クッキングハウスは週6日やっているけれど、紅茶は週6日休みで週1日やっています(笑)。お金の要らないお店で、誰も来ない日もないし、まったく同じ顔ぶれということもない。
17~8年前から、心のつらい人の話を聞くようになり、どう受け止めて聞いたらいいのかわからなく戸惑っている時、15年前に松浦さんに富山の講演で話を聞き、不思議なレストランを知りました。
メンバー達は、心の病気を乗り越えて生きている。私にできないことをしている。そのことを“すごいな”と認め合えたらいいなと思い、最初のピースウォークで、その気持ちを話したらメンバー達がすぐに反応を返してくれました。話は聴いてもらって初めて話になるのです。
毎年ピースウォークで話す度に反応があり、反応を返してくれたメンバー達の気持ちに意味が生まれてきて、『紅茶なきもち』を書く柱になりました。去年は、「心の居場所の原点」について話しました。テーマについて松浦さんは、とても「注文の多いレストラン」なのです。その度に自分の歩んできたこと・考えてきたことを、まとめるチャンスに恵まれました。話を聞いてもらう場のあることのありがたさを思いました。
クッキングハウスは安心銀行です。「よく来てくれましたね、そのままのあなたでいいのです」。その言葉の不思議さを、安心銀行に安心貯金を少しして、少し持ち帰って誰かに伝える。そうやって循環させる。私にとって不思議な学校が、クッキングハウスなのです。
キーワードは、「コミュニケーションは練習すれば上手になってくる」。こうなりたい、という具体的な希望に向かっていけるのです。それを「自分自身で、共に」学び、練習していくのです。
25周年記念のCD文庫「私の心の居場所」を紅茶の時間で何度も聴きました。「そのままのあなたでいいのです」が何曲にも出てきます。病気になって、それまで出来ていたことが出来なくなったり、苦しいことがいっぱい。でも、DoよりもBeであればいいと言い聞かせたい。だから「そのままの あなたでいいのです」が何度も出てくるのだな。
3年かけて、16曲のうたをつくり、大きな舞台で発表する、そのプロセスを笠木透さんと雑花塾のみなさんが裏方に徹して応援していました。“フォークソングは弱者の表現である”と笠木さんは言い、種を蒔く仕事をしておられる。一人の人が蒔いた種が、循環して他の人に伝わっていく。25周年記念コンサートに参加した一人ひとりが、種をもらって帰っていくのです。宮沢賢治の「けん十公園」の童話のようです。種蒔きが人から人へ、グルグル循環していくのです。

 スウさんのお話のあとはシェアリングタイム。このシェアリングで、自分の気持ちを語る。共感しながら、それぞれの話に耳を傾ける。「そのままのあなたでいいのです」に、自分の背中を押してもらい、みんな自分の気持ちを、自分の言葉で一生懸命語っていきます。安心の空気が流れます。それをクッキングハウスに安心貯金として少しずつ置いていってくれるのです。だからここに初めてやってくる人は、「ああ、来てよかった」と思えるのでしょう。                     (松浦幸子)
☆クッキングハウスでも販売中☆
水野スウ 著   「紅茶なきもち コミュニケーションを巡る物語」 定価1,200円 




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