クッキングハウスからこんにちは No.164

目次(青字の記事を抜粋してあります)2015年10月5日発行

 【 も く じ 】
 巻頭言:~戦争はいやです~
 路地裏フェスティバル25周年
 いい本が出ました・べてるまつりへ参加して
 スペシャル旅 ブータンを訪ねて
 動くクッキングハウス:夫婦のためのSST
 全国からのお便り紹介・追悼
 仲間紹介・イベントお知らせ・賛助会御礼
 文化学習企画
 動くクッキングハウス 各地からありがとう

 路地裏フェスティバル 25周年


人生のいろいろな苦労を抱えながら、不器用だけれど、誠実に生きている人たちが気楽に集い、交流できる場として、松崎運之(まつざきみちの)助(すけ)さん(元 夜間中学校教師)が提唱した“路地裏”が東京の下町に発足して25周年。年に一度の「下手を楽しもう」という舞台で、うたや踊りや芸を伸び伸びと披露する“路地裏フェスティバル”には、子どもから年配者まで、まるで大家族の集合のように、楽しいときを過ごしてきました。松崎さんの、誰でもどんな状態でも受け入れてくれる包容力の大きさとやさしさに、なぜかみんな緊張がほぐれ、笑顔になってくるのです。
 今年は25周年記念ということで、松崎さん脚本『東京ブギウギ』という下町物語で、昭和のうたミュージカル。NPO法人「フリースペースたまりば」の西野博之さんは浪曲師になり、三波春夫の浪花節を語ります。ワンカップを飲みながら、楽屋で真剣に練習。そして私は李(リ)香蘭(コウラン)役で登場しました。チャイナ服でちょっと若返ったかな。
 大阪のピネ亭のご主人、金(キム)義(ウイ)範(ポム)さんのお祝いスピーチに、困難を受け入れて歩んできた人の器の大きさに感動し、涙したり、笑いと涙の舞台です。

< 憲法12条と心の居場所はつながっている ~私の12条宣言 >
 クッキングハウスの仲間たちは“私の12条宣言”で舞台にあがりました。スタッフの
実川さんが前日に憲法12条全文を横断幕でまるでデモ行進のように大きく書いてくれたり、松浦素子さんがウチワに“I Love Peace”と鈴をつけ、小道具を作ってくれました。
 4月のスウさんのピースウォークでの“私の12条宣言”で、「私たち一人ひとりが自分のできることを呼吸するように自然にやることで、12条をして、平和のpieceになろう」というメッセージを受けて、それぞれが高らかに12条宣言をしました。

・私はアサガオの花を育てていきます(あい子)
・レストランで皿洗いをして、みんなにおいしいランチを食べてもらえるように
します(キヨ)
・音楽の力を信じて、世界とつながっていきます(洋祐)
・自分らしく生きることを恐れないことです(花菜子)
・クッキングハウスのみんなと楽しい思い出をつくっていきます(敏朗)
・クッキングハウスも路地裏も人生の学校。
路地裏のみなさんとのつながりを大事にしていきます(陽子)
・希望を大事に、目の前の人と向き合っていく事です(美月)
・クッキングハウスを平和な居場所にする努力を続けることで12条します(幸子)

そして、“不思議なレストラン”と“ペンペン草”を歌いました。会場のみなさんが立ち上がって一緒に踊ってくれたことが、なんともうれしいことでした。
「例年のことながら、クッキングハウスの皆様の出し物に大感激でした。たくさんの方が“感動した”、“胸が熱くなった”と言っておられました。心からお礼を申し上げます。松浦さんのチャイナドレス姿もとても素敵でした(松崎運之助さんから)」。
 「教師をしていると、子どもに決まった言葉を求めてしまう。クッキングハウスの皆さんのそれぞれの自然な言葉に感動しました」と大阪の教師、金(キム)大竜(テリョン)さんがスピーチの途中、涙でしばし言葉を詰まらせてしまいました。
10月3日~4日は“路地裏の旅”として、私の故郷、栃尾・長岡に37名もの仲間が参加してくれます。No.165でのレポートをお楽しみに。        (松浦幸子)



 スペシャル旅
国民総幸福の国ブータンを訪ねて


国民にストレスのかかる法律はつくらない
 1976年、GNH(Gross National Happiness):国民総幸福を宣言したのは、ブータンの第四代国王ジクメ・センゲ・ワンチュック。「人間は物質的な富だけでは幸福になれず、充足感も満足感も抱けない。物質的発展によって、伝統文化が失われ、心の安らぎが損なわれることがあってはならない」と、仏教理念に基づいた独自の方針・政策の宣言は世界を驚かせた。
 今枝由郎著『ブータンに魅せられて』(岩波新書)を読んでから、ブータンの国がますます魅力的に感じられ、私の大切な本になっていた。ヒマラヤの秘境の小さな国の人々は、仏教を深く信仰しており、朝晩は祈り、瞑想をする。「ヒマラヤがそびえ、雨雪が降り、森林が茂る限り、我が国は安泰であり、政府はそうであるように努める」と第四代国王が宣言したように、豊かなヒマラヤの自然を生かし、水力発電が輸出の60%を占める。もちろん、ダムや原発なんてない。そもそも、国民にとってストレスがかかる法律は通さないという。その例が「永久登山禁止条例」。外国の登山隊がやってくると、シェルパを雇う必要が出て来る。しかし、登山時期と秋の農繁期が重なるため、農民は本来の農作業ができなくなってしまう。そこで農民たちは国王に直訴した。
「ラ(・)・メミキ、ラ(・)・キ、ンガチャラキ、ラ(・)・ベミツ」(ラ(・)は仕事。仕事もない人たちの仕事のために、わたしたちは自分たちの仕事ができません)

さらに雪山は神聖にして冒すべからざる神々の座。そこで、直ちに「永久登山禁止条例」が発令され、ブータンの7,000m級の山々は、世界でも例外的に未踏のままであるという。
本当の人生の充足感を追及している国を訪ねてみたい。法律をつくる際、国民にストレスがかかるかどうかをチェックしている国があるなんて。今の日本では、多くの国民が「戦争をできる国はいやだ」と不安を抱えているのに、その声は踏みにじられている。人間性がないがしろにされている状態から、どうしたら希望に向かって歩きだせるのか。
ようやく、8月24日~9月1日、ブータン行きがカフェスローの吉岡淳さんの案内で実現して、嬉しかった。

男性が健康的でカッコいい
 ブータンの国旗は、オレンジと黄色地に龍が昇る絵。“幸福の黄色いのれん”のクッキングハウスのカラーに通じるなと思いながら、ブータンの飛行機を眺めた。バンコクから2時間あまり、山と山の間を「飛行機の翼がぶつからないか」と冷や冷やしながらも、見事にすり抜けながら、パロの空港に到着。滑走路が2本の谷間の小さな空港。降りた瞬間から、昨日までの忙しないザワザワ感が消えて、穏やかな気持になり、なにか不思議な大らかな気が満ちてきた。
 人々は木彫りのカラフルな空港の建物の美しさに見とれて立ち止まり、写真を撮り、誰も急ごうとしない。民族衣装のゴ(・)を着た日焼けした男性たちが、穏やかで素朴な笑顔で実にカッコいい。日本の着物のような服を膝までの高さに腰で調節して、黒のハイソックス、つま先の上がった黒靴を履き、足が美しい。白い袖元がくっきりしていて紳士的。ガイドのペマさんは日本の鶴瓶さんに似ていて、顔いっぱいに笑って迎えてくれる。男性が健康的でよく笑い、よくおしゃべりしている姿がまぶしい感じだ。
 木造の5階建てホテルは空調の音もなく、快適だ。早速のブータン料理。辛いと聞いていたが、「辛くない」とペマさん。日本の人たちに合わせてくれているらしい。
青唐辛子のチーズ煮、カボチャのスープ、ナスとピーマンの炒め、チンゲン菜と豆腐炒め、じゃかいものチーズ炒め、大根と豚肉の唐辛子煮、牛肉の揚げ煮、モモ(ひき肉の具を皮で包んで蒸したもの)、ごはん。どれもとてもおいしい。特にお菓子というものはない。
首都のティンプーは標高2,400m。信号機は一つもない。犬と牛が道路を自由に歩き回っているが、車は彼らを上手に避けながら走っている。ブータンの仏教は殺生を禁じているので、生きるものはすべて共存している社会。夜中は犬の世界。犬の吠える声のにぎやかさに最初の夜は驚いたが、2日目から「これが自然なのだ」と慣れてしまった。

“学びたいから” 3時間も歩いて学校へ
 ティンプーの郊外への学校訪問は、朝早い出発だった。「子どもたちの祈りの時間から学校を見学してほしい」とガイドのペマさんが言う。2階建ての木造の校舎の壁は、カラフルな色の木彫りで美しい。学校にも犬がゆったりと寝転がっていた。
 子どもたちは民族衣装のゴ(・)とキラを着ていて、手を合わせて祈り、国歌を歌い、輪になって両手を膝に結跏趺坐(けっかふざ)を組み、瞑想している姿がなんともかわいい。初等教育のどの教室からも歌声が聞こえる。歌のあふれた環境がいいなと思う。英語は、初等教育から力を入れている。休み時間になると、私たちのところにノートや紙切れを持って、子どもたちがワッと集まってくる。紙のない子は腕をぐっと出して「サインして!」とせがむ。子どもたちの目がキラキラ輝いている。こんなにサインぜめにあったのは初めて。また、こんなに活き活きした表情の子らにも久しぶりに会った。子どもたちは、みんな学びたくていっぱいの気持ちで、3時間もかけてジャングルを越えてやってくるという。
教育費は無料。それでも貧しい子は制服が買えず、国王が奨学制度をつくったり、物品のサポートをしているという。国家試験をパスすれば、大学進学も可能だという。最高学年である16歳の生徒たちには、職業紹介の授業があり、職業カウンセラーが子どもたちのそばで1日中、職業相談をしているという。
 授業見学のあとは、先生と交流。熱心にブータンの教育を話して下さる。「国の発展も考えつつ、伝統文化や歴史も大切にし、バランスのとれた教育を、と思い、努力してきました」と誇りをもって語ってくれた。日本では、子どもの自主性を重んじなくなった教育の結果、子どもが夢や豊かな発想を発揮できず、さまざまな子どもの問題が出ている実情を私たちは話した。
日本の教師たちも、もう一度、夢を語れるようになれないだろうか。ブータンの学校や教師を見て、日本の教師は羨ましがるだろう。日本にも“GNHを見つめてみよう”という機運が出てきたら、教育に希望が見えてくるだろうなどと旅の仲間たちで語り合った。


GNHとは  ~ 一人ひとりが幸せでなければいけない ~
 政府のGNH委員会のメンバー、ジエンチョさんの講座。国が発展していくことを考えるとき、経済だけでなく、精神的・哲学的なバランスを大切に考えているという。なによりの土台として、“一人ひとりが幸せでなければいけない”ということ。そのためには、人間にとって幸せとはなにかを分析しなければいけない。ここまで聞いただけで、私はもう唸ってしまった。若い政府の役人がこんなに柔軟な発想で、しかも統計学も駆使し、英語で分かりやすく説明してくれている。

国づくりのGNHレンズ
 一人ひとりのGNHの充足度を確かめていくための指標、9つの視点で国づくりをしていく。 いつもメンタルヘルス市民講座で学んでいる「エコマップ ~支援力は環境力」に
共通しているので、びっくりした。これこそ、ブータンらしいユニークさ。この9つがどのくらい充足されているかを2年に1回、調査委員が家庭訪問をし、丁寧に聴きとり、幸福度を測っているというから、更にびっくり。質問は400項目もあり、調査は3時間もかかるが、国は人で成り立つものである。人が内面的にも豊かで、人として安定しているかを測る大切な道具である9つの指標は「国づくりの羅針盤」であり、なにかを行う際の優先順位を決める判断基準として、役に立つ。
 1つの法案を決める前に、国民にストレスがかかると分かれば法律とはしない。たとえば、“精神的健康”のチェックでは、「お経をどのくらい読みますか?」「瞑想をどのくらい行っていますか?」などを聞く。“文化の多様性”では、「地域の言葉(方言)を話せますか?」「マスクダンスを踊れますか?」「お祭りや行事に参加していますか?」。こういった調査で教育に落差があることが分かり、教育に力をいれるようになったのだという。
 GNHは、ブータンの国の理念であり、国民と政府との橋をつなげている役割をもっていることも理解できた。
それにしても、ブータンの国の理念を実現していくための取組みの密度濃い話を的確に通訳してくれた旅の仲間の深津高子さんは、聡明で素敵な女性だった。おかげで、旅の全てのコミュニケーションが上手くできた。旅はそれぞれの人の可能性を発見するチャンスでもある。

ペマさんの家で松茸パーティー
 夕食はガイドのペマさんの家で松茸パーティー。庭にはりんごの木が3本もあり、小さなかわいい実をつけている。ブータンの人は、松茸はあまり食べないらしい。大きなザルいっぱいの松茸をホイルに包んで焼き、お腹いっぱい頂く。七面鳥の丸焼きも手でグルグル回しながら、根気よく焼いてくれた。山には二重の虹がかかり、美しい夕方の風景を味わえた。
ペマさんの家には祈りと瞑想のために特別な部屋があった。農家のドルジじいさんの家にもあった。仏教の心が深く染み込んだ人々の暮らしを感じた。
ブータンの吟遊詩人ジグメさんのコンサート。9歳から牛追いをしていて、牛は会話をしないので、淋しくて、いつも楽器を持ち、木の上で歌っていたのだという。「牛追いのうた」「瞑想のうた」「別れのうた」「山の愛のうた(山と山がいつも見つめ合って距離は近づかないが そんな愛もあるさ)」。どこかで聴いたことがあるような懐かしい曲だった。
ブータンで大事にしている3つのS。「Slow」「Small」「Simple」。ジグメさんの語りを聴きながら、自然と素直に、「いいなあ。3つのSでいいのだよ」と思えてきた。


薬草の国 伝統医療治療院
 民間の小さな治療院を想像していたら、なんと、国立で、美しい飾り絵のある立派な伝統治療の病院だった。ブータンは、冬虫夏草などもある貴重な薬草の宝庫。生薬による治療・鍼・灸・マッサージを組み合わせて、予防医学に使っている。最初にマッサージをして、固くなっているところを柔らかくして、その後の治療を行いやすくするという考え方もおもしろい。
健康省には、伝統医療の研究機関もあり、伝統医療のための政府の基金もあるという。熱心な説明を聴き、頭と顔のマッサージ治療をしてもらった。12種類の薬草を煎じた蒸気を鼻で数分間吸ってから、マッサージ。最後に鼻腔に薬草の薬を入れてもらった。治療のあと、肌がしっとり柔らかくなって、目もスッキリ。「松浦さん、見違えるほど元気な表情になったわ」と皆さんびっくり。目を閉じたときに青いキラキラするきれいな色が見えた。こんなことは初めてだった。
 3,100mの峠を越え、ただもう棚田の美しいプナカという村に見とれてしまったり、川のほとりの僧院を訪ねたり。
パロでは山の霊場タクツアン僧院を目指し、“岩から真っ逆さまに落ちるのではないか”と震えながら登ったり。農家のドルジじいさんの家を訪ね、日本の西岡京二さんがどんなに
ブータンの農業に貢献してくれたか、と感謝の言葉を聞いたり。語りつくせない旅だった。
 日本という国が、経済発展ばかりに突っ走り、人間性を大切にすることを忘れかけたとき、戦争ができる国に暴走しないためにも、「人間が本当に幸福であることとなんの関係が
あるの?」と問いかけたい。ブータンが3つのSを大事にしながら、独自のペースで国民一人ひとりが幸せであることを常に追求していることを思い出したい。    (松浦幸子)


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