クッキングハウスからこんにちは No.196
(記事の一部抜粋)

2021年2月8日発行

 
文化座音楽劇「ハンナのかばん」を観に行きました

<私はここにいるの>

最初は比較的冷静に観させていただいていたのですが、ハンナの最後の方の歌「私を探して、私を見つけて、私はここにいるの」と、聴いた瞬間、涙があふれるように出てくるのを止めることができませんでした。ハンナが亡くなった(殺された)のは13歳。丁度、自分の娘と同じくらいというのも大きかったのですが、ハンナのまっすぐな歌声に呼ばれたかのように“ハンナ”が“そこにいる”という感覚を強く感じたからかもしれません。以前、ある作家の方が“作品を書くことで亡くなった方の声なき声を、魂をすくい上げ、よみがえらせることができたら”と語っていたのを思い出しました。演劇も、亡くなった人たちの声をすくい上げ、魂をよみがえらせ、舞台を見ている“今を”生きている私たちと交流させてくれる力があるのでは、と思いました。
舞台の最後はハンナが「私を探して」を高らかに明るく歌ったあと、そのまま終わらず“ドスン”と感じるような、不穏な空気で終了したように感じました。この感じは何か、この物語が舞台では完結せず、この舞台の続きが、この舞台を観ている私たちに“託された”という感覚にとらわれました。つまり、今、まさに私たちのまわりで起きていること、コロナ禍での不寛容な雰囲気はもちろん、今でも続いている人種・民族・病気や障がいを持った人々への差別や、学校・職場でのいじめ、世界でまだ続いている戦争や、今も進んでいる軍備の増強の問題に私たちはどう向き合っていくのか。
「心を閉ざしてはいけない」というフミコさんの言葉が強く印象に残りました。 私たち弱い人間は、困難な状況の中で、いともたやすく「心を閉ざし」「他者を排除し」時には、「攻撃的」な方向に心が動いてしまうのです。私たちが心を閉ざさないようにするためにも、語り合い、歌を歌い、舞台や文学を通じて死者とも交流し、心を豊かに、強くしていきたいと思いました。                                               (井出歩)

<心を閉ざしてはいけない>
久しぶりの文化座、それに音楽劇と聞いて、とてもわくわくした。楽しみだったので「ハンナのかばん」の原作を買って、先に読んだ。そしたら、もうなんだか涙ボロボロで、これがどんな芝居になるのか、とドキドキだった。
劇場に入ると、一席ずつ空けた座席。コロナ厳戒態勢。そして幕が開いて、少年がハンナのかばんをひらくと物語が始まった。最初の歌のシーンですでに感動していた。
「わ――本当に舞台だ――!」と。役者さんたちの顔が一堂に観られた時、なんだかすごくうれしかった。やっぱりコロナ禍。どうしても気持ちが“キュー”っとなっちゃって、観る前は“苦労して稽古したんだろうな”とか“いろんな覚悟で舞台を準備したんだろうな”とか、そういうことも思っていたけど、幕があけたらそういうものが吹っ飛んでしまった。
この話は正直、バッドエンドの残酷な物語だ。ハンナは殺されるし、ホロコーストなんて冗談じゃない。戦争の物語は好きじゃない。悲しいから。すし詰めの列車。収容所の生活。ハンナが夢を語り、それをジョージが紙に書いてビンに詰めるシーンで、ハンナは沢山のことを語った。こうしたい、こうなりたい、こんな理不尽を乗り越えてやる。その先には豊かな人生を送れるチャンスがある。だから望みを持って生きる。そう言っていたのに、ハンナは大人にもなれず、収容所で2年以上も辛いことも強いられ、最後はガス室だ。夢も希望もへったくれもない。ハンナの最後のシーン。雷のような音で幕が閉じてしまった。私は、あの終わり方があまり好きじゃなかった。それが現実だとしても。
病気も経験した私は“このやろー、いつかギャフンと言わせてやる”という根性で生き抜き、今の人生があるのに。今につながらず、それが途中で切れてしまったら、その思いはどんなにか無念だろう。戦争の話って、国と国とか、民族と民族とかで知るけど、個人、ひとりひとりにハンナの様に物語がある。わからない、理解できない、こわい、おかしい、などと考えることを止めずに、自分のまわりの人の言葉に耳を傾ける。
クッキングハウスでは、いつも芝居を観終わった後にシェアリングをしていて、(おいしいものを食べながら)、私はそれがとても好きなんです。人によって感じ方が様々。それは違うんじゃない?という話もあって、それがまた人と人とで違いがあるということがわかる。こんな近い中にも。
戦争、ホロコースト、ヒトラーとか、やっぱり頭がマヒしちゃう。でも、お隣さん(クッキングハウスの仲間)の顔を見て、話を聞いて、みんなが違う人間なんだと気付く。その中で、どう生きていくかを考える。それだけで平和を考えることになっているんじゃないかと思う。キューっとしたコロナ禍で、このような芝居が観られたこと、うれしかったです。(家富妙子)

<人間はすぐに忘れてしまうから、学んで語り継いでいこう>
学んで語り継いで行く大切さを知った。人間はすぐに忘れてしまう生き物であり、日本人は特に暗い過去やマイナスなイメージの物を隠す特性がある。特に戦争などは“死”が付きまとう。暗い話題は記憶にとどめておくのが辛く忘れたく、語りたがらない人が多かっただろうが、その気持ちを振り払い、後の世代に残す選択をした人をエライと思った。自ら学びたいと新聞を書こうと思ったアキラたちのシーンがとても良かった。今の時代に生きる人々は情報で溢れかえっているのにボーッと生きており、学ぶことを疎かにしている人が多いし、自分もその一人。学びは生涯現役なんだと舞台を通して感じられた。(井上亜美)


初体験のオンライン授業in慈恵大学医学部看護学科

2020年12月4日、メンバーの内藤浩子さん、会田慧さん、江田宏美さんと一緒に慈恵大学医学部看護学科の山下真裕子先生の研究室に出かけて、パソコンの準備が済むと授業開始に合わせスタート。学生は自宅にいて、パソコンを見て授業を受けるのだ。私達はパソコンの上の小さな黒いカメラのレンズを見るようにしてそれぞれのリカバリー体験を話すことに集中する。見えない学生に向かってただ、必死に話す。こんな不自由な授業を受けざるを得ない学生たちの事を思い、「不思議なレストラン」を4人で声を合わせて歌っているうちに涙が出てきた。
春以来、学生達は顔を合わすことも出来ないで、全て自宅での授業だったという。「辛い試練を乗り越えて欲しいのです。私たちは応援しています」とエールを送り、「夢は叶うんだよ」を最後に歌った。パソコンの画面から次々と拍手マークが現れ、学生のにこやかな顔が画面に広がっていった。      (松浦幸子)

訃報 シンガーソングライター横井久美子さん “歌にありがとう”

2021年1月14日、横井久美子さんが腎盂がんの治療半ばで天国に旅立たれました(76歳)。あまりにも早いお別れになってしまい悔しさでいっぱいです。2019年7月21日、横井久美子さんの50周年記念コンサートは1000名を超える全国各地、ベトナムやネパールなど海外からのお客様で中野zeroホールは熱気に満ちていました。
「いつでも今が人生のはじまり  うたって愛して」「いつの時代にも歌があった。その時あなたもそこにいた。あなたが主役のコンサート」と呼びかけ、すべての心を開放して歌う横井久美子さんと共に会場のみんなも一緒に全29曲、3時間にわたり歌いながら、歌手人生をソシオドラマとして、出会った人達を紹介してくれました。赤と白の明るく爽やかな衣装で、愛とパワーに満ちた圧倒的なコンサートでした。
その後、20回目のアイルランドの旅から帰ってお腹の痛みを感じ、検査したところ腎盂がんが見つかり手術。それでも明るく前向きに治療に向き合ってこられたのでした。
人々の平和を願い、人間らしく生きる権利に真っ向から正義感で闘い続けてきました。「人生の最後は拍手で送ってほしい」と語り、人生という舞台を高らかに歌った横井久美子さんに“ありがとう”の拍手を送ります。 (松浦幸子)



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