クッキングハウスからこんにちは No.213
(記事の一部抜粋)

2023年11月28日発行

動くクッキングハウスin石川県小松市・金沢市・津幡町
<1日目 小松市稱名寺 地域の方への呼びかけで充実したワーク>
稱名寺の佐々木裕子さんが優しい笑顔で迎えて下さった。大きなお寺の玄関には「不戦の誓い」が堂々と掲示してある。
午前中は「心のバランスを崩した人に寄り添うために」のテーマで講演。
地域の介護の仕事の方々や、障がいをもった人達のアパートの世話もして下さっている不動産屋さんも来て下さり、心の病気を理解したいと熱心に学んでくれた。
お寺ランチをおいしくいただいた後、午後はSSTのワーク。
その人の良いところを見つけてほめることで考え方が前向きに変わり、人間関係が楽になっていく変化を、円陣になった参加者が感動して見守ることができた。
グループのもつ力である。すぐに助け合って学び、練習し合う仲間になれるのだ。来年もまたSSTをやりたいと言ってもらえて、こんなに嬉しいことはない。
大きなお寺で一日中切れ目なく仕事のある中でチラシをつくり呼びかけて下さった佐々木裕子さんに感謝。
<2日目 金沢市“えがお”で喜びの種を蒔いて花を咲かせたい>
紅茶の時間の水野スウさんとソーシャルワーカーの馬渡徳子さんが周りの市民や支援の仕事の方々、学生、当事者の方々に呼びかけて下さり、
SSTを学びたい輪が広がり、なんと今年で16回目を迎えた。
前半は弱さを受け入れ、弱さを寄せ合うことで、やさしくしなやかな力になってきたクッキングハウスの36年の歩みを語る。
SSTも、弱さを仲間みんなで肯定し合うことから始まる。今から一歩、未来に向かってできることを練習する。
課題はたくさん挙がり、10時から16時までの時間でも足りない位。1つずつの課題にグループみんなで、
全力で集中して向き合うから理不尽なことには怒りの涙もあふれてくる。
でもグループの力ってすごい。怒りを許していくことの愛の涙に変わっていく。
スウさんも思わず呟く。「SSTってシナリオのないドラマなのね」。グループの最後は、円陣の中心に一人一人の「喜びの種」を蒔いて、花を咲かせた。
私は「精神科医療・福祉が今よりもっと豊かになる種」を蒔いた。
<3日目 紅茶の時間 心が解放されたワークの一日>
スウさんのご自宅は北・南・西と全開した窓から自然の風が渡り、緑の森が涼しい色となり、なんとも心地いい。
昼、スウさんの手作り弁当を昨日も今日もおいしくいただく。
ちょうど町内の神輿がやってきて、家の前で若者や少年たちが日焼けした顔に汗を光らせながら、しばし舞ってくれた。
こちらも元気をもらって笑顔で午後のSSTワーク。課題もどんどん積極的に挙がっていく。
紅茶の時間を開き続けてきたスウさんへの信頼感。そして安心できる居場所として守ってくれているパートナー・マーさんの存在感。
最後に喜びの種を蒔いた。福井県から来てくれた亜紀さん、能登からやって来た恭子さん、みんないい笑顔で地域に戻っていった。
きっと喜びの種を蒔いて咲かせてくれることだろう。
(松浦幸子)

動くクッキングハウスin長野県小谷村・松本市
<心の居場所をつくりたい~小谷村の二日間の学びと交流>
小谷村ではメンタルヘルスを共に学ぼうと、クッキングハウスの仲間達と一泊二日の学びの旅を10年以上続けてきた歴史があります。
コロナ禍で4年間中断し、本当に久しぶり。「松浦さん、いってらっしゃい」とメンバーに少々うらやましそうに見送ってもらいながら、今回は私一人で講演とワーク。
コロナ禍を経て増々深刻になったのは、孤立しそうな危うい暮らし。
どうしたら「一人ひとりが安心して自分らしさを取り戻せる心の居場所」を地域の中につくっていけるのか、をテーマにして、学びを深めていきたいと
主催者の高橋きよみさんの切実な願いがあった。この2日間は再会と初めての出会いと交流で充実。
クッキングハウスの理念を改めて振り返りながら、非暴力で平和な心の居場所をつくるために36年間ぶれずにやってきたことを6つにまとめて伝えた。
①そのままのあなたで大好き~全面的に肯定し、受け入れ、孤立させない
②安心感のプレゼント~安心言葉とやさしい笑顔があふれていること
③安全でリラックスできる環境をつくること~おいしいご飯と語り合えるティータイム
④ほめ言葉のシャワーを~一人一人の可能性を信じ認めてほめること
⑤失敗しても大丈夫なチャンスがあること
⑥一貫して長い目であたたかく見守り、寄り添ってくれる人がいること~人生という長い尺度で見守りたい
これらは言葉としてはシンプルだが変わらずぶれずに実践していくことは、自分自身への絶え間ない問いかけと、
自己修練も必要なのだと、私自身が心を引き締めて自分に語ったことでもあった。
2日目の昼食交流会は、きよみさんのご自宅につくられた「からころケアほっとカフェ」の部屋。
クッキングハウスの旧ティールームで使っていたテーブルや家具を生かし、さらにきよみさんのセンスで素敵な居場所となっている。
ここでセルフヘルプグループや精神保健福祉ボランティアの会“カモミール”の会合を開いておられる。
壁にはメンタルヘルス市民大学の記念写真やレジュメも年代順に貼ってある。今まで共に学び合ってきたことを大切にしてきた思いが伝わってきて感慨深い。
一品持ち寄りの秋のご馳走が、テーブルに置ききれないほど。信州の漬け物、長芋や南瓜のサラダ、栗、塩茹で落花生、柿やリンゴでいっぱい。
恥ずかしがって顔を見せない中島君からの、天然のきのこで香り豊かなきのこ汁、炊き込みご飯。集まった人もいっぱいで、おいしくいただきシェアリング。
この村に移住してきた人達もみんな居場所を求めている。きっと、みんなで緩やかにつながった、心の居場所をつくっていけるだろう。
2日間の学びが希望の種になれたら嬉しい。
<松本のワーク 心が平和であるための対話の可能性>
11月3日は文化の日。小谷村・松本と3日間の学びの間、飯綱高原の森の幼稚園の園長先生・内田明子さん(35周年の時、講演して下さった内田幸一さんのパートナー)が
全日程を付き合って下さった。紅葉の山々を見ながらの車中で語り合うこともできた。
松本の社会福祉センターの会場では、いつも野菜や手づくりこんにゃくで応援して下さる田中征男さんご夫妻、
「岡田京子さんの90歳越えを祝う会」の呼びかけ準備をして下さった現代座の今村さんとも再会。
心が平和でいられるために対話の可能性をテーマにクッキングハウスの実践を話す。文化を創りたいと活動する中で出会った様々な講師やアーティストの方々と、
メンバー達との交流も話す。
昼食も参加者と一緒にいただき、話が弾む。赤かぶ、ミョウガ、野沢菜、茄子の辛子漬け、粕漬などみんな漬物づくりが上手だ。
ワークもいっぱい。ほめ言葉のシャワー、マインドフルネスリスニング、来年も元気で会えるようにそれぞれが無理をしないで疲れの注意サインを知っておこうと、
最後は注意サインのワークで締めくくった。
(松浦幸子)


スペシャル旅 函館・青森「縄文遺跡の旅」
歌を聴きに森の中から鹿も 平和な縄文人になれた
念願叶って9月29日~10月1日、2泊3日の函館・青森「縄文遺跡の旅」が世界遺産講師の吉岡淳さんをガイドに13名の一行で実現できた。
「戦争をストップさせるための対話の可能性」をテーマに2月17日のメンタルヘルス市民大学で吉岡淳さんに講師をお願いした。
その時、戦争をしない平和な暮らしが15,000年も続いた縄文時代があったことを話してくれたのである。
人類史上でも極めて稀にみることで、世界中からも驚きと関心を集めているという。
小さな集落ごとに共同生活をし、その日にとれたものを分けあって食べ、平等に暮らしてきた。
洗練されたいい道具を工夫していた。すべての自然を神として敬い、深い精神性をもっていた、縄文の人々の暮らした集落跡をぜひとも見たいと
希望が寄せられて、わくわくと心おどる旅となった。
函館市大船町(おおふねちょう)の大船遺跡。2021年7月世界文化遺産に登録された。
太平洋が目の前に広がり、栗やクルミ、どんぐりの実る森がそばにあり、竪穴住居が美しい。
ここで一日中火を燃やし、食事をしながら語り合い、歌ってきたのだろう。
この集落の道端でギターを背負ってきた増田康記さんのライブとなり、みんなそれぞれに草の上にしゃがんだり、一緒に歌ったり。
「一本の木」のうたに合わせ会田美奈子さんが手話もしている時、森から鹿が次々と現れた。優しいうたをじっと聴いている。
鹿と一緒に平和な縄文人になれた心地だった。
(松浦幸子)

「そんなに先を急がなくてもいいんだよ」縄文人の声
2日目は、函館市内の縄文文化センターにも行きました。縄文人の自然観や精神世界を体感し、縄文のこころと交感する場。
自分の中の縄文のこころに気づき、現在と未来を見つめる場、と伺いわくわくしました。土器や石器、貝塚、そして国宝の土偶等も展示されていました。
狩猟や漁労、採集に使われた手作りの道具類は、用途に応じてたくさんの種類があり、深い知恵や工夫が施され、あたたかみが伝わってきました。
亡くなった子どもの足形を粘土板に写し取った「足形付き土版」は家の中に吊るして、亡くなった子どもを偲び、親が亡くなった時に一緒に埋葬されたとのこと。
子どもの足の指がくっきりと残り、子どもの足を押した親の指の跡まで残っていて、一万年の時を超えて、親の悲しみや再会への願いが伝わってきました。
青森の大規模な集落跡「三内丸山遺跡」は、森に包まれた広大な敷地に、復元された建物がたたずみ、まるで縄文時代に訪れたよう。
約4300年前の大型の竪穴住居は、日本最大規模で、クッキングハウスのレストラン2個分ぐらいの広さ。
天井が高く広々としていて、太い栗の木の柱や囲炉裏がありました。
ほの暗く、暖かいその空間に佇んでいると、まるで実家に帰ってきて「そんな先に先に急がなくていいんだよ。ゆっくりしていきな。」と私たちに語りかけてくれているようでした。
写真撮影コーナーでは、あい子さんが縄文時代の服を着て、美奈子さんが魚を持ってパチリ。まさに縄文人でした。
(井出歩)

願いが叶った青森でのコンサート
2日目の夜は青森の創作料理のレストランで夕食交流会。
増田康記さんの願い「何としても青森でのコンサートを実現したい。笠木透さんと全国各地コンサートに行ったが
唯一、青森だけが未開催だったのだ」がミニライブで叶ったのです。
まず、松浦さんがご挨拶。「小さな居場所を開いた時、笠木透さんのうたが心の応援歌でした。
6周年を祝う会でやっと笠木透さんと増田康記さんのコンサートが実現した時は、
小さな居場所にメンバー達が集まってくれて、笠木透さんがお辞儀をすると壁にお尻がぶつかってしまいました。
それからずっと、私達の活動をうたで応援して下さっています。」
「海に向かって」から全11曲。アンコールは「ひとつぶの涙」をみんなで口ずさみました。世界の各地では紛争が絶えません。
もし、縄文人のように自然の恵みを分け合い、感謝してくらすことができたら、心豊かな社会が実現できるのでは、と胸が熱くなりました。
その時、突然あい子さんが窓を指さし「あっ、笠木さんがいる!見ていますよ」と嬉しそうに叫んだのでした。
(田村陽子)




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