ホーム > 心の居場所(2004年12月号)

新潟中越地震お見舞申し上げます
たくさんの仲間達へ 元気をだしてね
〜明日があるから〜

今年も残り少なくなりました。いかがお過ごしでしょうか。

10月23日夕方、新潟県中越地方で大きな地震があり、その後の余震の回数のおびただしさに、どんなにか心の不安な状態を今も抱えていらっしゃることでしょう。心からお見舞い申し上げます。

日を追うごとに、被害の深刻さが明らかになっています。被災地の栃尾市は私の生まれ育った故郷です。中越地方には私の友人や親戚が暮しています。クッキングハウスの賛助会員になっている方々も多いのです。雪が降らないうちに、あたたかい住まいが確保されるようにと願っています。

地震のニュースを聞いて、メンバーの池田和子さんが涙を流し、私達にできることをしたい、とテレホンカードや、赤ちゃんの紙オムツをもってきてくれました。

安藤さんが、きりつめた経済の中から500円をカンパしてくれました。児玉君が「惜しくないよ」と1000円カンパ箱に入れてくれました。岩崎さんは手編みの靴下カバーやマフラーを寒くて風邪をひかないようにと持ってきてくれました。メンバー達の協力がこんなに優しく胸にしみたことはありません。レストラン、ティールーム、スターの一日分の売上をカンパにあてました。みんなで少しずつ持ち寄って一人一人顔の見える関係の賛助会員の方々へ、物資とカンパを送りました。まるでお楽しみ袋のように、チョコレート・あめ・クッキー・お茶・ラーメン・水・マフラー・セーター・シャンプー等今、必要なものが一つずつ入った箱でした。

新潟のみなさんから、返事が届きました。大変な状況の中におられるのに、収穫した米をお礼にと早速に送って下さった下田村の、遠藤さんや大和町の小幡さん。
「箱をあけたら、今欲しいと思っているものばかりが入っていました。お茶が飲みたい、甘いものを欲しいと思っていたので、涙がこぼれました。3日目にようやく電気釜でご飯が炊け、10日目に風呂に入れました。」と長岡市の小林満子さんの手紙。

見附市の山谷さんからも何年ぶりかのお手紙。
「前略クッキングハウスの皆様、十月二十三日の震災の際にはお心のこもった品々とたくさんの見舞金を頂戴いたしまして本当にありがとうございました。人ごとと思っていました災害が、あまりにも大きく我身にふりかかり、気も動転し、度重なる余震に恐怖で生きた心地もしませんでした。
うつ気味になっていた時、皆様からの荷物が届き松浦さんのお手紙といろいろな品々を手にした時、感動と感謝で胸が一杯になりました。私は今まで何も皆様のお役になんか立っていなかったのにこんなに思い、よくして頂いて本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。」みかんと賛助会費まで送って下さいました。

栃尾市のとちの木の家(共同作業所)からは、
「水害地震と新潟をおそった災害の爪跡は栃尾が誇る自然をも変えてしました。道路はあらゆるところで亀裂が入り隆起し、屋根は瓦がはがれ落ちあちらこちらで、ブルーシートが目立ちます。見るたびに心が痛みます。

メンバーさん達には大きな被害はありませんでした。「体調は大丈夫?ストレスはたまっていない?」毎日声かけしております。同じ中越地方に住んでいても被害の大きさは様々です。暖かい食事ができ、屋根の下で眠れる事のありがたさなどをかみしめ再び栃尾の自然が自慢できる日が来ると信じてひとつひとつ前向きに生きていきたいと一同念じております。それも励ましたり応援して下さる皆様のおかげで心より感謝申し上げます。」

中越地方のみなさんから、地震の後の大変さを伝えて下さる手紙が続々と届きました。とにかく、私達がお見舞いを送ったみなさんが元気で、これからのことを前向きに取り組んでいこうとされている気持ちも伝わってきて、ほっとしました。ほんの少しずつのお見舞いしか送れなかったけれど、みなさんが私達の気持ちのプレゼントを、大きな励みと勇気に思って下さったことは確かです。つながって生きていくことの大切さを感じました。
新潟の被災地のみなさん、どうぞ元気をだして雪国の粘り強さと、優しさで乗り切っていかれますように、祈っております。
(松浦幸子)

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